はにゃまるブログ

思考のたれながし。

自分と他人との境界線があやふやだとコミュ障?

何かを決めるとき。それが大きなものであればあるほど。一つの理由で決める事ってないんじゃないかなと思ってる。

 

 
行く大学とか住む家とかさ。いろいろな条件が重なってそれを選ぶ結果になってると思う。そしてそういう経験はほとんどの人間がしてきてると思う。
 
んでも、大きい決断をした人に対して「どうしてそれ選んだの?」って聞いて、理由が一つ帰ってきただけで満足しちゃうんだよね。本当はその理由だけじゃなくて沢山の理由があるはずなんだけど。
「この人はこの理由でこれを選んだ人」ってラベルを付けて、分かった気になって満足する。
実際のところ、それだけじゃその人の表面的な事しかわかってないんだけど。
 
聞かれた方も、沢山の理由があるのに、一番分かりやすい理由だけを伝えて終わる。
 
それが人間の社会性なんだろうなー。
なんだかんだで、私たちって他者とある一定の距離を保って生活してるんですよね。
距離が〜とか言うと他人行儀で悲しく感じるけど、これが人間の賢い社会性なんだろう。
 
他者と自分との境界線がちゃんとしてるということでもある。その境界線があやふやになると精神障害になったりするから、精神を保つ上でもそういうのが大切なのだと思う。
 
口に出して「こっからは入ってきちゃダメ!これ以上聞かないし、言わないで!」って名言はしないけど、空気を読むっていうのかな?そういう暗黙の了解みたいな社会性があると思う。
 
そんでその空気が読めないのがいわゆる”コミュ障”なんだろねー。
自分の事もガンガン話すし、他人の事もガンガン聞いてこようとする。
 
私はコミュ障人間なので、自分の事ガンガン話そうとするところがあって、
何か理由を聞かれた時もすべての理由を話さないと満足できない節があるんだけど、でも最近は自分のそういう面に気づいてきたから、1個言って相手が納得してたらそれ以上言わないようになってきた。そういう社会性は身についてきた。
 
でも、それでも時々モヤっとするんだけどね。
え?それだけで私の事を知った気になってるんすか?それだけじゃないんですけど???まだ沢山理由あるんですけど??って言いたくなっちゃって。
だからその”モヤっと”をやんわりこうやって記事にするんだけど・・笑